長年の謎が モヤモヤしています。
当山には、石垣があります。
不思議なことは、文化4年には、現在の場所ではなく、町屋村にあったそうです。
私の婆さんの話では、栗栖川の氾濫でお寺が流され、現在の地に移ったそうです。
しかし、こんな立派な石垣を火急作る技術があったのか?
すぐに整地ができたのか?など、疑問と不思議だらけでした。
その謎が、解け始めています。
山城を研究されている方が、お越しになり、この地には、赤松一族の城があったそうです。だから、火急に寺を移せたみたいです。
そして、婆ちゃんは、参勤交代で、当山に、お殿様がお休みになり、三日月城へ行かれたと、よく言っていました。
確かに、籠石と伝えられる石もあります。
そして、婆さんの旦那様は、赤松家から養子に来られています。
早く、全てがわからないかな〜といつも、モヤモヤしています。
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